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Der Junge muss an die frische Luft
     男の子には新鮮な空気が必要だ

ドイツ映画 (2018)

ドイツの有名なコメディアン・クリエイター、ハンス=ペーター(“ハーペイ”)・カーケリングの子供時代を描いた映画。2018年に公開され、378万人のドイツ人が観たとされる。映画は、カーケリングが2014年に出版した自伝的小説に基づいているので(右の写真は、本を持つカーケリング)、有名なコメディアンが子供時代から面白い子供であったこと、そして、それがトラウマを乗り切るために加速されたことがよく分かる構成になっている。原作と少し違うのは、ハンス=ペーターのユリウス・ヴェッカウフが撮影時9歳だったため、映画の開始、1971年で7歳という設定になっていること。これだと、母が死んだ1973年夏には9歳になる。しかし、実際には8歳の時に死亡した。9歳の少年を6歳に見せるのは困難なので、7歳から始めたのだろう。映画には、ハンス=ペーターの父母には、祖父母や何人もの兄弟がいるので、登場人物は多いが、それが、父方なのか母方なのかが分かりにくく、映画を鑑賞する上での支障になってはいるが、それを凌駕するようにハンス=ペーターの破天荒な行動が目立つので、そうした不満を忘れさせてくれる。映画の中では、2つの死が描かれている。特に、母の死は、映画の本筋とは逆行するほど悲しいものだが、それを乗り越えたからこそ、その後のカーケリングの成功があるかと思うと、カーケリングが創り出した最も有名なキャラが(右の写真は、カーケリングが演じるHorst Schlämmer)、母の死後間もなく誕生したという筋書きは感動的ですらある。

映画は4つのパートに分かれている。幼年時代、1971年、1972年、そして、1973年。幼年時代は、時代、場所、大家族の紹介に使われる。1971年にレックリングハウゼンという ルール工業地帯にある小都市に引っ越してから、ハンス=ペーターは、行動的な母方の祖母アンと同居することで、その感化を受け、コメディアン的な面が芽生える。具体的に紹介されるのは、馬や馬車に乗って愛嬌を振りまいたり、カーニバルで王女様の真似をして面白がらせた挿話。しかし、1972年になると、様相はがらりと変わる。長期間留守をする大工の夫、祖母アンの入院、母は家事に加えて悪化していく副鼻腔炎のせいで、精神のバランスが崩れていく。ハンス=ペーターは、何とか母を笑わせようと、必死に頑張る。しかし、祖母は死に、母は手術で嗅覚と味覚が破壊される。1973年は破壊と再生の年。ハンス=ペーターの努力で、夏まで何とか異常な感覚に耐えてきた母だったが、健気に努力するハンス=ペーターを可哀想に思った祖父が、2週間夏休みのキャンプ旅行に連れていったことで、事態は急速に悪化する。戻ってきたハンス=ペーターが見たのは、別人のような母だった。そして、睡眠薬の過剰摂取による自殺。その葬儀の前後、ハンス=ペーターは悲しさと自責の念のため、崩壊しそうになる。それを変えたのは、母の死後、ハンス=ペーターの面倒を見るために来てくれた父方の素朴な祖母ベルタ。高齢で体調の悪い祖母か、児童福祉センターに引き取られるかの二択になった時、ハンス=ペーターのコメディアンとしての才能が再び動き出す。そして、それは父を早く他の女性とくっつけようとした伯母の試みで加速し、小学校のクラスの演劇会の場で開花する。

ハンス=ペーターを演じるのはユリウス・ヴェッカウフ(Julius Weckauf)。2007年12月27日生まれなので、2017年7月11日~9月15日の撮影時は9歳。ハンス=ペーター(“ハーペイ”)・カーケリングは、子供時代の写真(右)から分かるように肥満タイプだったため、同じような体型をしたユリウスが、映画初主演にもかかわらず主役抜擢された。しかし、その演技は見事で、シアトル国際映画祭の最優秀男優賞ほか2つの賞を獲得している。2020年2月公開のコメディ『Enkel für Anfänger』では脇役、12月公開予定のコメディ『Catweazle』では主役。今後の活躍が期待される。

あらすじ

映画は、「僕は時々思うんだ、もっと努力すべきだったって〔母のために〕」という、回想の言葉から始まる。オープニング・クレジットの背後に流れる映像は、映画の後半のシーンの一部。そして、独白はさらに続く。「ヴィリお祖父ちゃんは、『努力すれば、できないことはない』って。戦争が終わった後、アンお祖母ちゃんに会うため、家まで300キロも泥の中を歩き続けたけど、生き延びられたのは、お祖母ちゃんのことを想い続けたからなんだって。あきらめなければ、何だってできる。きっと、僕の努力が足りなかったんだ」。そして、タイトル。ここは、ルール工業地帯の一角を占める小都市レックリングハウゼンの中心から北西に2キロほど離れた田舎のボックホルト地区。遠くの方に煙突群が見える。主人公のハンス=ペーターが赤ん坊だった1965年は、閉山や工場の閉鎖が進み始めた時期に当たる。赤いケシの花の咲いた野原の中の一本道を、若い母親が赤ちゃんを乗せたベビーカーを歌いながら押して行く(1枚目の写真)。「僕の母さん、マーガレット・カーケリングだ。ホントは女の子を欲しかったみたいだけど、僕には、どうしようもなかった」。明るくて、幸せ一杯の母だった。次のシーンでは、幼児になったハンス=ペーターがキッチンテーブルの上で、意味も分からず雑誌を見ている。「小さかった頃、僕らはベルタお祖母ちゃんと一緒に田舎に住んでた」。母と祖母は、ハンス=ペーターを乗せたままテーブルを持ち上げて移動させる(2枚目の写真)。「僕は、何でも好きなことができた。そして、小さい頃から、やりたいことを知ってた」。TVを見ていた幼いハンス=ペーターが、「ママ、あの人みたいにTVに出たい」と声をかける。TVでは、若い司会者が、「それでは、皆さん、楽しい夜をお過ごしください」と、スタジオの観客に頭を下げている。ハンス=ペーターは、母に、レックリングハウゼンの町なかにある食品店に連れて行かれると、「それでは、皆さん、楽しい夜をお過ごしください」と、司会者の真似をしてみせる。「アンお祖母ちゃんは、レックリングハウゼンの町なかで店を開いてた。他の子供たちが幼稚園で遊んでる間、僕は毎朝、そこで過ごした」。そして、客が祖母に話しかけた言葉を、そのまま真似するハンス=ペーターの姿が紹介される。「2人のお祖母ちゃんに加え、たくさんの親戚がいて、みんな騒ぐことが大好き。僕が生れた日、父さんはいっぱい飲まされ、僕は危うく孤児になるとこだった〔バーから出たところで車に轢かれそうになった〕。「それから、飲むのをやめた。彼は大工で、仕事が山ほどあったから、いつも他の町で働いてた。だから、これが、母さんや、マテス兄さんや僕が、いつも見る光景だった」。3人は、父の乗った車が去って行くのを見送る(3枚目の写真)〔つまり、ほとんど家にいなかった〕

1971年と表示される。ハムスターを抱えたハンス=ペーターが、木陰から、物干しをしている母と祖母ベルタ(父方)を窺っている(1枚目の写真、矢印はハムスター)。そして、「行け、フィスピー」と押しやる。母は、自分の方に寄ってきたハムスターを見て、「ネズミ!」と叫んで、たらいの中に避難する。祖母は、「フィスピーじゃないの」と言い、ハンス=ペーターが、嬉しそうに顔を出す〔祖母が知っていて、なぜ母が知らないのだろう?〕。母は、「待ってなさい!」と、庭の中を追いかけ、つかまえると、草の上でふざけて仰向けに、「降伏したよ」と言わせる(2枚目の写真)。そして、キス責め。仲の良い母子だということが、よく分かる。

次の場面。「7歳の時、僕らはボックホルトから町なかの、もう一人のおばあちゃんちに引っ越した」(1枚目の写真)〔半袖なので夏のように見える→1971年夏は、1964年12月9日の生まれのハンス=ペーターにとって、まだ6歳のはず〕。祖母は、「庭なしで、やっていけるの?」と心配するが、祖父は、車で15分じゃないかと宥める〔2キロしか離れていないので、時速40分なら3分だが?〕。祖父母の家を出発した車は、工場の町に向かって走る(2枚目の写真)〔この映像から見ると、10キロくらいは離れているように見える→幼児時代のハンス=ペーターは、毎朝、これだけ遠くにあるアン祖母の店に、どうやって通ったのだろうか? 祖父が送り迎えしたのだろうか?〕。次の場面は、アン祖母(母方)の住んでいる家。一家が、荷物を持って家の中に入ってくる(3枚目の写真)。キッチンに入ると、そこはまだ改良工事中。なぜ引っ越したのかは分からないが、前ほど静かで安定した環境ではなくなった。

ハンス=ペーターの初登校日。教師が、「ハンス=ペーター君。ボックホルトからの転校です」と紹介する(1枚目の写真)。女の子の間では、「おでぶさんね」との声も。「仲良くしてあげてね。いいですか?」。「はい、先生」。ハンス=ペーターが指定されたのは、1つだけ空いていたガビという女の子の横の席。その席に行く途中で、ハンス=ペーターは、一瞬、おかしな顔をして見せる。それに対する反応は、呆れて顔をそむけた女の子が1人(2枚目の写真)。このあと、家に向かったハンス=ペーターは、子供たちが街路で遊んでいるところにぶつかる。初めて見るハンス=ペーターに、「あいつ、誰だ?」と警戒感。しかし、意外なことに、教室では呆れ顔をした女の子が、「一緒に遊ぼう」と言ってくれる〔このサビーナは、ハンス=ペーターの一番の友達になる〕

映画では、少し、相前後するが、母が、きれいとは言えない裏庭で、「この庭、もっと広いと思ってた」と夫に言う場面がある(1枚目の写真)。「君がまだ小さな女の子だったからだろ」〔ここは、母方の祖母の家なので、母は、子供の頃から見慣れている→結婚するまでずっとここに住んでいた場合には、この表現はおかしい〕。「もっと、手入れされていたわ」。「戻ったんだから、君がそうすればいい」。「本気なの?」。「花が咲いているのは好きだ。ボックホルトみたいに」。ここで、夫が、「こんな大きな家に住むんだ。みんな俺たちのだ」と言う〔家は3階建てなので確かに大きいが、全部が4人家族で使えるわけではない。母方の祖父母に同居させてもらうのだから、表現が間違っている〕。そのあと、現実の生活を強く感じさせる場面がある。内装工事が終わってないので、外ではまだ職人が作業をしている。そのすぐそばで、母と祖母が物干しをしている。母は、工事の進捗状況に懸念を示していると、何かの警報音が響き、母は思わず両手で耳を塞ぐ(2枚目の写真、矢印)。前途の多難さを予感させるシーンだ。

ある日、ハンス=ペーターが学校を終わって家の前まで来ると、祖母が、戸口に立って、「馬が欲しくない?」と訊く。「欲しいよ!」。「中で、マテスも欲しいか訊いてらっしゃい」。一家は、馬の即売会のような場所に出かける。一緒に付いていった母は、ハンス=ペーターに角砂糖を渡して馬に食べさせる(1枚目の写真)。祖母は、ハンス=ペーターにぴったりだと思った黒い馬を選ぶ。母は、その馬を見て、「大き過ぎない? 絶対乗れないわ」と心配するが、祖母は太鼓判を押し、祖父のヴィリは、「我々が買わんかったら、この馬は屠殺される」と話す。「お庭には、大き過ぎない?」。「もっと、大きな場所が要るわね」。「牧場?」。「そんなとこね」。かくして、兄の分も併せ、2頭の馬は牧場のような場所で預かってもらうことに〔どのような施設なのか 正確には不明〕。祖母は、そこにいたハンス=ペーターの遊び友達が乗れるように、置いてあった幌なし馬車も購入する。そして、別の日、子供達を乗せて家の前まで “凱旋” する。後部席の中央には祖母が座り、左にはハンス=ペーター、右にはガビ(2枚目の写真)。向かい側の席にはサビーナ他3人の子供達。御者席には祖父と兄が座る。街中を馬車が通ることはまずないので、町の人々は物珍しくて手を振ってくれる(3枚目の写真)。

馬車は、そのまま郊外の “馬を預かってくれる” 場所に向かう。そこは、ハンス=ペーターの父母の親戚と、ハンス=ペーターのクラスメイトが集まって野外パーティの場となっていた。そして、馬車が到着すると(1枚目の写真)、子供達が馬車の回りに集まり、順番に乗ってみる。ハンス=ペーターは、一躍人気者だ。ハンス=ペーターの2人の祖母は、3人の娘〔恐らく、3人ともアンの娘、1人はハンス=ペーターの母〕を交えて談笑する(2枚目の写真)。ヴィリ祖父は、馬車から黒馬を離すと、「ハンス=ペーター、いよいよだぞ。お前の馬に乗るんだ」と声をかける。とても1人では乗れそうにないので、兄のマテスが馬を押さえ、クルト叔父がハンス=ペーターの脚を持って押し上げ、ヴィリ祖父が反対側から手をつかんで引っ張る。しかし、小さくても太っているので、なかなか上手くまたがることができず、反対側に落ちそうになり、今度は祖父が股に手を入れて押し上げる(3枚目の写真)。子供達からは失笑も。「どっちかに決めないと… バツの悪い状況を、ただのボケで終わらせるか、意図的に利用するか。僕は、2つ目でいくことにした。当たり前だろ」。ハンス=ペーターは、何とか馬の上に乗ると、頭としっぽが逆なのを無視し、両手をあげてガッツポーズ。馬が動き出しても、後ろ向きのまま、両手を上げてみせる(4枚目の写真)。その後は、普通の向きで馬に乗り直し、パラソルを手におどけてみせる。

ドイツで行われる大規模な仮装パレードは、「バラの月曜日〔Rosenmontagszug〕」。レックリングハウゼンでも行われて、映画の雰囲気に近いが、開催は2月末なので、映画に合致しない〔映画では、1971年最後の場面〕。時期は合わないが、レックリングハウゼンで仮装カーニバルが行われていることは事実。親戚一同がアン祖母の家に集まり、仮装の準備をしている。祖母アンが選んだのは、積極的で勝気な性格にマッチした海賊の衣装。ハンス=ペーターは、いきなり、「僕、王女様になる」と言い出す。祖母は、「お前さんが着れるサイズは、ここにはないわ。ゲルトルート〔伯母の1人〕に作ってもらうといい」と肯定的に話す。母が、「ママ、王女なんて変よ」と反対すると、「どこが?」とハンス=ペーターの希望を優先する。その場にいたゲルトルート本人も、「人が何て言うかしら?」と心配する。ハンス=ペーターは、「王女様になる。何て言われようが構わない」と、主張を曲げない。祖母は、「ほらね、マーガレット、あなただって毒キノコになるでしょ〔母の仮装は毒キノコ〕。それがカーニバルよ」。ハンス=ペーターは、ゲルトルートが用意した服にカツラをかぶり、口紅を塗ってもらう(1枚目の写真)〔彼は、ホモでもトランスジェンダーでもない。ただ単に、自己主張したいだけ。ひょっとして、母の、「ホントは女の子を欲しかったみたいだけど」という思いに、応えたかったのかもしれない〕。祖母の家が町のどこにあるかは分からないが、一族全員が仮装して、堤の上のような場所を歩いてカーニバルの会場に向かう(2枚目の写真、工場地帯というイメージが強い)。町の中心の通りではパレードが行われていて、一族はその末尾を、一般参加者に混じって歩く。インディアンの格好をしたクラスメイトが、「あれ見ろよ、ハンス=ペーターだぞ」と、面白がる。魔法使いの仮装をしたサビーナは ハンス=ペーターの親友なので、「何が可笑しいのよ」と追い払う。パレードが終わると、再び家に戻ってパーティ。一番ユニークな仮装は、クルト叔父のネアンデルタール人。逆に仮装をしていないのは尼僧のリスベッツ伯母。ハンス=ペーターが、ジュースを飲みながら1人で踊っている(3枚目の写真)のを見たゲルトルート伯母は、祖母のベルタに、「なぜ、女装が好きなのかしら?」と尋ねる。彼のことが好きな祖母は、「楽しいからよ」と答える。2人の祖母とも、ハンス=ペーターの擁護派だ。歌の好きなアンネマリー叔母が歌い始めると、それに合わせてハンス=ペーターも踊る。それを見ていたクルト叔父が、歌が終わった後、「可愛い女の子になったな」と言うと、ハンス=ペーターはカツラを投げ捨て、「僕は女の子じゃない! 振りをしてるだけだよ! 分かった? 叔父さん?!」と強く反発する(4枚目の写真)。その場に沈黙が拡がるが、ムードを盛り上げようと、母もキノコを投げ捨て、「私もキノコじゃないわ。その振りをしただけ。分かった?」と同調し、パーティに笑いが戻る。パーティは一層の盛り上がりを見せるが、そんな中で、祖母のアンが急に苦しそうな表情を見せる。

1972年と表示される。厩舎内で、ハンス=ペーターが馬車に座って手を振っている。兄が、「何してるんだ?」と訊くと、「お祖母ちゃんと一緒に凱旋してる振り」と答えた後、「いつ病院から戻るのかな?」と尋ねる。「すぐだ」。「どのくらい?」。「さあな」。兄は、落ち込んでいる弟を元気付けようと、「馬に乗らないか?」と声をかける(1枚目の写真)。ハンス=ペーターは、祖父がいないと乗れないことになっているらしくて断るが、「ここには、いないぞ」と言われると、チャンス到来とばかりにニコリとする。次のシーンでは、常歩の兄の白馬の後を遅れずに付いていくハンス=ペーターの黒馬の姿がある。しばらく様子を見た兄が、「行くぞ」と声をかけると、2頭は速歩で軽快に進み始める(2枚目の写真)。最後は、2頭が並んで野原を駆ける。

祖母が、ヴィリ祖父に伴われて長期の入院を終え帰宅する。ハンス=ペーターは大喜びで走り寄り、頭を撫でてもらう。祖母は、そのまま居間のソファに横になる〔なぜ、ベッドに行かない?〕。ハンス=ペーターは、「また、横になるの?」と心配する。「疲れたからね」。そう言うと、祖母は、ハンス=ペーターを呼んで、横に座らせる(1枚目の写真)。死を目前にした祖母の帰宅は、母にとっての重荷となる。それに輪をかけたのは、引っ越しの時、工事が終わっていなかったリフォーム。どの部屋かは判別できないが、窓枠の施工がぞんざいでやり直しが必要となる。祖母の入院の原因となった心臓の痛みも再発する。工事中の部屋の隣にある寝室で、夫が、今作っている〔他人の家の〕キッチンの設計図を見せて自慢した後、妻のために作った木彫りの飾りのついた木箱〔中は空〕をプレゼントする(2枚目の写真、矢印は木箱)。そして、夫は、また仕事に出かけて当分戻って来ない。次のシーンでは、兄が ハンス=ペーターの体育服を入れる袋を奪って工事中の部屋に逃げ込み、追いかけてきた弟と奪い合いになる。その部屋では母が掃除をしていて、2人の奪い合いは母を怒らせる(3枚目の写真)。母のストレスを高めたという意味では、兄の行為は愚かとしか言いようがない。

ある日、ハンス=ペーターがキッチンに入って行くと、母が、タマネギを刻んでいる(1枚目の写真、矢印はタマネギ)。「ママ、どうかしたの?」〔タマネギを刻んでいれば、涙や鼻水が出ることはあるので、なぜ訊くのだろうかと思ってしまう(映像では、症状が分からない)〕。母は、いきなり、予想もつかない返事をする。「副鼻腔炎なの。抗生物質が効かなくて」〔いつからなのだろうか?〕。「手伝おうか?」。母は、首を横に振る。ハンス=ペーターは一旦部屋から出て行く。すると、開きっぱなしのドアの外から、ハンス=ペーターの声がする。「みなさん、ご覧あれ。ヴッパータール〔レックリングハウゼンの南南西40キロ/現役で世界最古(1901年)のモノレールの走っている町〕から来た空中浮揚する乙女ですよ」。そして、ドアの端からスカートをはいた女性の脚が出てくる(2枚目の写真)。ドアの向こうの台の上に横になったハンス=ペーターが、腹筋で脚を上げていただけなのだが、すぐに耐えられなくなって台から落ちる。それを見た母の顔が思わずほころぶ(3枚目の写真)。

別な日、ハンス=ペーターがサビーナと一緒に自転車に乗っていると、2人の悪ガキが現われ、「ここから先は、僕らの通りだ」と言って “通せん坊” をする。「『僕らの』だって? ここは、ベートーベン通りじゃないか」(1枚目の写真)。2人は、ハンス=ペーターを自転車から舗装道路の上に押し倒すと、そのまま押さえ込む。サビーナは助けようとするが、太刀打ちできない。そこに、運良く自転車に乗った兄が通りかかる。ハンス=ペーターは、必死に、「マテス!」と叫ぶ(2枚目の写真)。2人の悪ガキは、兄とその友達によって殴り倒され、「二対一だと、この弱虫ども! 失せろ!」と怒鳴られ、逃げて行く。ハンス=ペーターは、アン祖母がやっていた店に行く。今、そこは、ゲルトルート伯母が接客、ベルタ祖母がレジ係を担当している。店では、噂好きなおばさん客が、ミセス・コロッサ〔映画の終盤でで登場〕が今年3人目の男に振られた、と嬉々として話す。客が出て行くと、ベルタ祖母が、ハンス=ペーターに「会えて嬉しいわ」と声をかけ、逆に、ハンス=ペーターから「ここで、手伝いしてるの?」と訊かれるので、祖母が入院して以来、彼は店に寄り付かなくなったらしい。祖母から傷を指摘されたハンス=ペーターが、「ママがまた取り乱しちゃう」と言うので、伯母が唾をつけたティッシュで血を拭き取ろうとするが、痛がるので、流れ落ちた血しか拭えなかった。そのあと、ハンス=ペーターは、先ほどの客がミセス・コロッサについて話ったことを、同じような口調で再現し、2人を笑わせる(3枚目の写真)。

帰宅したハンス=ペーターがキッチンを覗くと、母が、赤い電球を顔に向けて料理をしている(1枚目の写真、矢印)。「何してるの?」。「お医者が、効くからって。だけど、光の前にじっと座ってる暇が いつあるって言うの?」〔そんな話は聞いたことがないので、ネットで探したら、現代でも、「『赤いLEDがアレルギーに届く!』として、657ナノメートルの光(赤色光)は、アレルギーの緩和、粘膜の炎症を抑制する旨の怪しげな広告が見つかった〕。母は、ハンス=ペーターにテーブルに皿を並べるよう頼む。ハンス=ペーターは、棚から出した3枚の皿と3人分のナイフとフォーク、冷蔵庫から出した牛乳をテーブルの上に置く。しかし、重ねた皿から1枚取ろうとした時、誤って牛乳を床に落としてしまい、1リットルほどの牛乳が床を汚す。結果的に、ハンス=ペーターは母を怒らせ、“取り乱し” を加速させてしまう。母の反応は過激で、タオルで床を拭きながら(2枚目の写真)、ハンス=ペーターに、「ふきん寄こして」と命令し、「どれのこと?」と訊くと、「キッチンクロスでしょ、バカね!」と叱る。そして、渡されたものが間違っていたのか、そのクロスでハンス=ペーターの顔を叩き、「邪魔しないで」と脇にどかせると、今度は、両手をつかんで、「もう、うんざり! いいこと、私は苦しんでるの! やることだらけだし! 我慢できないわ!」と怒鳴る(3枚目の写真)。ハンス=ペーターは逃げ出すが、母が後を追いかけてくる。そこで、祖父母のいる区画のドアを叩き、「お祖父ちゃん入れて!」と頼み、何とか逃げることができた。

祖父が、母の目の前でバタンとドアを閉めたので、ハンス=ペーターは助かったが、母はドアを叩いて、「パパ、開けてよ! ハンス=ペーター、今すぐ出て来なさい!」と叫ぶ。ハンス=ペーターは、アン祖母がソファで寝ている部屋まで来ると、悲しげにドアの脇に座り込む(1枚目の写真)。祖母は、「今度は 何をしたの?」と訊く。「ミルク こぼしちゃった」。祖母は、夫を呼び、「マーガレットのところに行って、正気に返らせてやって。この子は、ここに居させるわ」と言う。祖父が出て行くと、祖母はハンス=ペーターをソファで一緒に横にならせる。この映画の中で、一番重要な会話が始まる。「私が、もう長くないこと知ってるでしょ?」。ハンス=ペーターは頷く。「だけど、お前さんのことは、ずっと見守っているからね」。「どうやって?」。「今に分かるわ。それに、ベルタお祖母ちゃんもいるでしょ」。そして、さらに、「今から話すことを、ちゃんと聞くのよ。そして、誰にも言わないこと。お祖父ちゃんにもね」。ハンス=ペーターは頷く。「お前さんはね、とっても特別な人になるの。すごく有名な人にね」〔言葉通りだった〕。「お祖母ちゃんまで変になったの?」(2枚目の写真)。「私は、これまでずっと変だったわ」。その日の夜かどうかは分からないが、祖母の死期が迫る。ハンス=ペーターは、部屋のドアの前で、悲しそうに玩具をいじっている(3枚目の写真)。「死んだ人がどこに行くのか知らない。インディアンは、別の姿になって戻ってくると信じてる。動物だったり、植物だったり。例えば、ポピーとか」。

祖母が亡くなり、しばらくして。久しぶりに戻った父が、ハンス=ペーターと一緒にキッチンに入っていくと、母が床に座り込んで床を拭き、近くには鍋と剥いたジャガイモが転がっている。それを見た父は、「具合が悪いのか?」と言って抱き起こす(1枚目の写真)。「今のままじゃダメだ。手術を受けないと」。「受けたくない」。「決まりきった手術じゃないか。長いこと放置して潰瘍になったら、もう治らなくなるぞ」。「でも、誰がここの世話をするの?」。「まず、座るんだ」。そして、テーブルの上に顔を伏せてしまった妻に、「心配するな。お袋が助けてくれる。手術を受けよう」と宥める。ハンス=ペーターは、母を元気付けようと、パセリを耳と鼻に当て、「僕だって料理できるよ」と言い(2枚目の写真)、母もハンス=ペーターの手を握ってそれに応える(3枚目の写真)。

映画では、入院のシーンは一切ないが、玄関で寂しそうに座っていたハンス=ペーターが、庭の花を持ってやってきた祖母を迎えに走っていくシーンで、母が入院中だと分かる(1枚目の写真)〔祖母は、大きな鞄を持って歩いて来たので、田舎の家から車で送ってもらった訳ではないことが分かる/かつて、ベルタ祖母の夫、ヘルマン祖父は、「車で15分じゃないか」と言っていたが、なぜ車で送らなかったのだろう?〕。ハンス=ペーターは、祖母の鞄を代わりに持つ。「お昼は何?」。「チーズ・シュペッツレ〔一種のパスタ〕よ」。夜になる、悪夢を見たハンス=ペーターは、祖母の寝ている部屋のドアを開けて、「お祖母ちゃん」と呼びかける。ベッドの上で話を聞いた祖母は、「楽しいことしましょ」と言うと、夜中にもかかわらずベッドから出ると、服を着替えてキッチンに行き、ハンス=ペーターに手伝わせてお菓子を作り始める。木の棒でアプリコットの種を抜き、その開いた穴に角砂糖を詰める。そして、こねた生地の上に置き(2枚目の写真、矢印)、アプリコットを丸ごと包んで “肉球” のような形にする〔焼き上がったところは ゴマ団子そっくり〕。朝起きた兄が、キッチンテーブルに山と積んであった “団子” を1つ口に入れ、開いていたドアから祖母のベッドを見ると、ハンス=ペーターが一緒に寝ている。「お祖母ちゃん、学校に行かせないと」(3枚目の写真)。祖母は、「ハンス=ペーターは、今日はお休みよ」と囁く。

ハンス=ペーターが祖母をイスに縛り付けてインディアンごっこをしていると(1枚目の写真)、いきなり母が現れ、それを見たハンス=ペーターが、「ママ!」と叫んで抱きつく。同じ部屋にいて、雑誌を見ていた兄も飛んでくる(2枚目の写真)。問題は、食事の時に起きた。母は、夫が皿につけた肉料理を嗅ぐが、「何も匂わないわ」と言う。ハンス=ペーターは、すぐ「『匂わない』って、どういうこと?」と訊く。「レッセン先生の話では、すぐに正常になるって」。夫が、「味はどうだ?」と訊く。一口食べた母は、一言、「ううん」(3枚目の写真)。「ママ、こんなに美味しいのに」。

1973年と表示される。裏庭に ハンス=ペーターと母が座っている。ハンス=ペーターは地面に敷いた布の上に、母は、ガーデンチェアに(1枚目の写真)。ハンス=ペーターは、取っ手の付いた木のまな板の上に持ってきた陶器の人形を順に並べていく。それぞれが、親戚の誰かに該当し、1人加えるたびに、その人のくせを真似してみせる(2枚目の写真)。それがあまりにぴったりなので、母は笑い転げる(3枚目の写真)。

この一族の関係がどうなっているのかよく分からないが、今度は、ボックホルトにあるベルタ祖母とヘルマン祖父の家の庭でパーティが行われている。一族の中で一番若いヴェロニカ叔母が、ハンス=ペーターの母に「素敵なお庭ね」というので、少なくとも彼女は初めて来たことになる。ハンス=ペーターは、白いYシャツの襟の前に黒の蝶ネクタイを付けている(1枚目の写真、ハンス=ペーターは左端。立っている2人の女性は、左がヴェロニカ、右が母)。それぞれの場所で会話は弾んでいるが、皿を片付けている母だけは元気がなく疲れている。見かねたベルタ祖母は、「マーガレット、なぜ、そんなに走り回ってるの」と、談笑に加わるよう勧めるが、「片付けないと」と返事するので、立ち上がって座らせる(2枚目の写真)。アンネマリー叔母が、いつものように歌い始める。祖母は、「みんな、心配してるわよ」と言うが、母は「私なら、大丈夫」と返事するや、また立ち上がろうとする。「ダメよ。座って。あなた、どこが悪いのか、ちゃんと言わないと。治療も必要よ」。「副鼻腔は治ったわ」。「もう一度病院へ」。「手術したお陰で、匂いも味も分からなくなったわ」〔結局、医者が、「すぐに正常になる」と言ったのは間違いだった〕。会話は聞こえなかったかも知れないが、母の辛そうな様子を見たハンス=ペーターは、少しでも喜ばせようと、アンネマリー叔母の隣で踊り始める(3枚目の写真)。母は一瞬笑顔になるが、すぐ席を立って家の中に入って行く。この後、祖母の勧めもあって、母が、病院に相談に行く場面が入る。母は、廊下で他の医師と話しているレッセンに声をかけ、どうしても相談があると割り込む。次は、レッセンの部屋での会話。いきなり、母の、「もう戻らない?」から始まる。「2ヶ月経過し、まだ匂いが分からないのなら、その可能性があります」。「味覚も?」。「残念ながら、味蕾から脳に信号を送る脳神経が、手術中に損傷を受けたようです。もう少し経過を見てみましょう。奇跡が起きるかもしれません」〔現代なら、医療過誤で訴えられかねないケースだが、当時は泣き寝入りしかなかった。現在の副鼻腔炎の手術は100%内視鏡だが、それは始まったのは1980年代に入ってから。1970年は、「上あごの歯肉のところから切って骨を削り、副鼻腔に到達するものが一般的」とされている。当然、神経に損傷を与える可能性は高くなるし、すべてが肉眼でなされるので、正確さも期待できない。運が悪かったというしかない〕

家に戻った母は、生野菜を食べることにした。ハンス=ペーター:「おいしいの?」。母:「少なくとも、バリバリ音がするでしょ」(1枚目の写真)。「でも、サラダばっかり食べてちゃダメだよ」(2枚目の写真)。この会話の前後、兄は前を往復するが、何も言わない。母に対する愛情は、ハンス=ペーターの方が遥かに勝っている。後片付けが終わって、一休みしている母を見て、ハンス=ペーターは、「ここって静かだね。これじゃ、ママも憂鬱になっちゃうよ」と言うと、クッキーの欠片(かけら)を鼻の下に当て、ユルゲン・フォン・ケーニッヒ〔1972年当時はTV俳優〕の真似をする(3枚目の写真)(右の絵は、ユルゲン・フォン・ケーニッヒの特徴を強調して描かれたもの)。

母が、嬉しそうな顔をしたので、これをもっと持続させようと、ハンス=ペーターは、赤いバラを手に持ち、歌も添えてフラメンコの真似をする(1枚目の写真)。この、心からの温かい贈り物に、母が相好を崩し(2枚目の写真)、投げキッスを送る。そして、「いらっしゃい」と呼ぶと、優しい息子を抱きしめる(3枚目の写真)。母が喜びの表情を見せた最後のシーンだ。

悲劇の発端は、ハンス=ペーターの父の帰宅を待ち構えていたヴィリ祖父の、この言葉。「話し合いが必要だ」。父は、久しぶりの帰宅なので、妻に会いに行きたがるが、祖父は、「ダメだ。お前は、ここで何が起きてるか、知っとるのか? いいや 知らん。ここに全然おらんからな。ハンス=ペーターは、何か月もずっとママの世話をしとる。マーガレットは病気だ。お前さんだって知っとるだろ」と叱るように言う。これは、生計のためとはいえ、ある意味責任を放棄し、妻の世話を全面的にハンス=ペーターに押し付けている娘婿に対する非難だ。鈍感な大工の夫は、「俺に何ができます? 病院に行くことを拒んでるんですよ」と、ほとんど顔も見せないくせに、一二度試みて失敗したことを理由にあげる。祖父は、「もうこれ以上、黙って見ていることはできん。夏休みを取らせるべきだ。男の子には新鮮な空気が必要だ〔この言葉が、映画の題名になっている〕」と、はっきり言う(1枚目の写真)。この言葉は、正論なのだが、結果として、母の回りにいるのは、気のきかない夫と、何もしない長男だけとなってしまう。祖父は、ハンス=ペーターを不憫に思い過ぎ、この危険性を軽く見てしまった。ヴィリ祖父は、ハンス=ペーターを連れて山歩きに出かける。それは、大自然に触れる楽しい経験だった(2枚目の写真)。夜の焚火で、祖父は、「お前は1人じゃないぞ。いいか、お祖父ちゃんがいつもそばにいるからな」と言い、ハンス=ペーターに抱きつかれる(3枚目の写真)〔映画のこのシーンだけ見ていると、山小屋も、テントも出て来ないので、短期間の旅行に見えるが、後で2週間の長きにわたったことが分かる。母は、2週間もの間、役立たずの2人に囲まれ、病状が救い難いまでに悪化してしまう〕

2人が家に戻って最初に聞いた言葉は、父の、「ママの具合が悪い」だった(1枚目の写真)。ハンス=ペーターは、ウッドチャック〔マーモットの一種〕を抱いて母のいるキッチンに入る(2枚目の写真、矢印)。母は、2人が入ってきても、ずっと窓の方を見ていたが、ハンス=ペーターが前まで行って、「僕が戻って嬉しい?」と尋ねると、振り向いて、「もちろんよ」と無感情に答える。それを見ていた祖父は腹を立て、「嬉しそうな顔ぐらい見せたらどうだ。2週間ぶりに会うんだぞ!」と叱る。父は、「具合が悪いと言ったでしょ!」と擁護。「この子のせいじゃないだろ!」〔気配りゼロの父親のせい/しかし、ハンス=ペーターを2週間も引き離したらどうなるか、考えなかった祖父にも責任はある/後で、ハンス=ペーターが “緊張病性昏迷状態” になり、“一生の心の傷”とまで表現するほど後悔したのは、この時、家を離れて母のサポートをしなかったことだった〕。そこまで聞いた母は、顔をぷいと背けて、また窓の方を見る(3枚目の写真)。母には、もう、ハンス=ペーターなど どうでもよかった。彼女は、重度のうつ病で、頭にあるのは、不幸のどん底にいる自分のことだけだった。

夜、ハンス=ペーターが1人でTVを見ている〔この映画の元になった、ハンス=ペーター(“ハーペイ”)・カーケリングの同題の自伝的小説によれば、3年生としての新学期が始まるまで数日を残した夏休みとある。ルール地方のあるノルトライン=ヴェストファーレン州における1972年の小学校の夏休みは6月22日-8月5日。ということは、8月の2日(水)か3日(木)〕。彼は、クリムビンのTVショーに合わせて体を動かしている(1枚目の写真、矢印の先に白黒TV)。すると、母が、片手にコップを持って入ってくると、「夏休みなんだから、TVを好きなだけ見てらっしゃい」と話しかける。「パパは?」。「夜勤よ」(2枚目の写真、矢印はコップ)。「お休み、ママ」。母は、振り向きもせずに「お休み」とだけ言い、別のドアから出て行く〔この場面の原作での言葉は、「もう寝るわ、ハンス=ペーター。まだ夏休みだから、今日は、好きなだけTVを見てていいのよ」。そして、時間は夜8時頃〕。彼は、番組が終了して、テストパターンになるまで見続ける。部屋の電気を消すと、歯を磨く。場面は、ハンス=ペーターが森の中で自由に馬を乗り回す場面に変わり、映画の冒頭で流れたと同じ独白が聞こえる。「あきらめなければ、何だってできる。きっと、僕の努力が足りなかったんだ」。そして、さらに、「ママは僕の冗談が好きだった。誰も、僕みたいにママを笑わせることはできなかった」とも。歯を磨き終えたハンス=ペーターは、両親の寝室に入ると、母の横に寝る。しかし、母は変な音を立てている。そこで、「ママ?」と声をかけ、返事がないので体を揺する(3枚目の写真)。ハンス=ペーターは、起そうとするのをあきらめ、「パパ、お願い帰って来て。神様、どうか元気なママに戻して下さい」と祈る。

早朝になって父が帰宅する。寝ずに待っていたハンス=ペーターは、「パパ、ママの具合がおかしいよ」と告げる。父は、妻に駆け寄るが、話しかけても反応がない(1枚目の写真)。父は、ハンス=ペーターを抱きあげると、彼の部屋まで運んでいき、「ここにいろ」と命じて出て行くと、すぐに救急車を呼ぶ。ハンス=ペーターの部屋の窓から、救急車に乗せられる母が見える(2枚目の写真、映像がボケているのは、質の悪い窓ガラスのせい)。そこには、祖父の姿もある(写真の右端)〔ハンス=ペーターは、なぜ祖父に助けを求めなかったのか? 母が薬を飲んだのは8時、ハンス=ペーターが異常に気付いたのは真夜中(12時頃)。既に4時間経っている。睡眠薬服用後2時間以内なら、胃洗浄で助かった可能性もあるが、4時間では難しい。だから、ハンス=ペーターが動転して祖父や兄に助けを求めなかったのは、不適切ではあるが、だからと言って結果が変わったわけではない〕。明るくなってから、ハンス=ペーターは、母の遺書の入った封筒と、睡眠薬を飲んだコップを見つける〔原作によれば、睡眠薬をエルダーベリー・ジュースに溶かした〕。その頃、ようやく兄が、「何が起きたんだ」と言って3階から降りてくる。ハンス=ペーターは、封筒とコップを持つと、役立たずの兄と一緒に、家から出て行く。外には、救急車が去ってから うなだれたまま動かない祖父がいた(3枚目の写真、矢印は封筒とコップ)。祖父は、封筒とコップを受け取ると、ハンス=ペーターを抱きしめる。

それから数日が経ち、ハンス=ペーターが始まったばかりの学校から帰って来ると、家の前に喪服を着た親戚が2人立っている(1枚目の写真)。それを見たハンス=ペーターは、母が死んだと悟る〔彼は一度も病院に連れていってもらえなかった〕。ハンス=ペーターは、2人は無視し、泣きながら2階に駆け上がる。次の場面は、ボックホルトに向かう父の車。ハンス=ペーターも一緒だ。父は、運転しながら泣いている(2枚目の写真)。そして、ベルタ祖母とヘルマン祖父の前に座った父とハンス=ペーター。父は、「ママ、一緒に住んでもらえないかな?」と頼む。「誰も、ママみたいに上手に 子供たちの面倒を見られない」。「でも、私は70を超えてるのよ。あと、どのくらい生きられるかも分からない」。しかし、ハンス=ペーターが、「お願い、お祖母ちゃん」と頼むと(3枚目の写真)、「荷物を用意してくるわ」と言って立ち上がる。

次は、母の葬儀告別式の場面。死んだ母の一等親以上に該当する夫、息子2人、両親3人が固まって教会に向かう(1枚目の写真、左から、ベルタ祖母、ヴィリ祖父、ハンス=ペーター、兄、父、ヘルマン祖父)。「町の半分は集まっとるな」〔「町内の」、くらいの意味〕。「ハンス=ペーターも、一緒じゃないといけないの?」。3人の伯母・叔母が寄って来ると、尼僧のリスベッツ伯母がハンス=ペーターを抱きしめ、一番若いヴェロニカ叔母が「一緒に行きましょ」と声をかける。歌の好きなアンネマリー叔母も同行する。夫、兄、ヴィリ祖父、リスベッツ伯母、ゲルトルート伯母の5人が教会の最前列に座るが、ハンス=ペーターと2人の叔母は、かなり後方に座る(2枚目の写真)。牧師は、堂内に入ってくると、真っ先に5人と握手する〔母の死は自殺なので、“罪のない嘘” で葬儀ミサを認めてもらったと書かれている〕。ハンス=ペーターは、棺に彫られた一輪のバラの絵を見て耐えられなくなる(3枚目の写真)。そして、花束を持ったまま席を立つと、中央通路に出て、「No!!」と叫んで花束を床に投げつけると、そのまま走り去る(4枚目の写真)。甥っ子のことが心配な2人の叔母もすぐに後を追う。

2人の叔母が、走りにくい靴で必死に追いかけると、ハンス=ペーターは教会の園内ベンチの下に横になって泣いていた。2人はベンチに座る(1枚目の写真)。アンネマリーは、「悲しい時、いつも歌うの」と言い、ハンス=ペーターに優しく触りながら、「♪いつの日か、奇跡が起きる。すると、一千もの おとぎ話が本当になるの」と静かに歌う(2枚目の写真)。それで心が癒されたのか、葬儀告別式が終わり、牧師を先頭に棺と参列者が教会から出てくると、2人の叔母と手をつないで現れたハンス=ペーターは、埋葬の列に加わる(3枚目の写真)。そこに入る独白の最初の半分は、冒頭のヴィリ祖父が戦争後にアン祖母に会おうと必死で頑張った話だが、後半は、「あきらめなければ、何だってできる。きっと、僕の努力が足りなかったんだ」の反省ではなく、「じっと待ってるだけなら、何も起きない。そんなことをしたら、二度と立ち上がれなくなる。ただ、前進するのみ」の鼓舞へと変化する。しかし、母の自殺を防げなかったことは、ハンス=ペーターにとって、“生涯で最悪の出来事” としてトラウマとなる。

久しぶりに学校で〔最初のシーンから2年経っているが、同じ担任で同じクラスメイトというのも変な気がする〕。教師は、『レリングハウゼンのハンス・ダンプ〔多忙な人〕』というクラス演劇について、「役をもらいたい人?」と訊く。半数以上が手を上げるが、こうしたことに熱心なハズのハンス=ペーターはうつむいたままだ(1枚目の写真)。それに気付いた教師は、「どうしたの、ハンス=ペーター? 何もしたくないの?」と訊く。ハンス=ペーターは、静かに首を横に振る(2枚目の写真)。「がっかり。てっきり、ハンス・ダンプをやってくれると思ってたのに」。隣に座っているサビーナが、「出て、出て、出て」とおどけてみせ、教師ももう一度、「どう?」と訊き返すが、「遠慮します」と断る。生徒達から、一斉に落胆の声が〔ハンス=ペーターは、人気者になっている〕

同じ日〔服が同じ〕、ハンス=ペーターが帰宅してキッチンを覗くと、いつも母が座っていたイスがなくなっている。「お祖母ちゃん、イスはどこ?」。「片付けたわ」。「どこにあるの?」(1枚目の写真)。「ゴミで出したわ」。その言葉に衝撃を受けたハンス=ペーターは、怒って自分の部屋に閉じ籠る。祖母が、機嫌を直そうと、「ケーキを焼いたわ」と言って部屋まで行く。しかし、「ケーキなんか食べたくない」と断られる(2枚目の写真、矢印はケーキ)。祖母は、「相談したいことがあるの。児童福祉センターの女の人が、あなたをちゃんと面倒できているか調べに来るのよ」と、背中を向けたままの孫に告げる(3枚目の写真)。「私たちは、年寄り過ぎているんじゃないかってね」。しかし、ハンス=ペーターは、「一人にして」と相談を拒否。祖母はケーキをドアの脇に置いて立ち去る。

ベルタ祖母が、夫のヘルマン祖父と真剣に話し合っている〔いつの間にか、ヘルマンが合流している〕。祖母:「私がかろうじて歩けるだけなのを知られたら、どうなるの?」〔そんなに足が悪いようには見えないが…〕。祖父:「ずっと座ってりゃいいじゃないか」。「それじゃ 失礼よ」。「ヴィリみたいにしたらどうだ。彼は、立たなくて済むよう、隅っこに座ってるだろ」。「どうかしらねぇ。一度も立たなかったら、何て思われるかしら?」。祖母は、さらに、「あなたが、目が悪いことを悟られたら?」と心配する〔そんなに視力が弱いようには見えないが…〕。そこにハンス=ペーターがケーキを食べながら いきなり現われ、「練習しなくちゃ」と発言する(1枚目の写真)。2人はびっくりしたろうが、そのシーンはなく、いきなり練習場面に変わる。児童福祉センターの女性になったハンス=ペーターが、呼び鈴を鳴らす。ドアを開けた祖父に、女性用のキャップを被ったハンス=ペーターが、「今日は、カーケリングさん」と声をかける(2枚目の写真)。祖父は、「今日は、お入り下さい」と応じ、「ここは、すぐ分かりましたか?」と訊く。それを聞いた祖母は、「話さないで! 歩くのに集中して!」と注意するが、目が悪い祖父は、家具の角に体をぶつけてしまい、かなり痛そう。ハンス=ペーターも、「お祖父ちゃん、それって いつもそこにあるよ」と呆れる。「お前さんが、余計なことを言うからだ」。「何も話さなきゃいいの」。「彼女が、何か言ったら?」。「頷くだけ」。ハンス=ペーター:「それで、ハンス=ペーター君はどうですか?」。祖父は何も言わずに頭を大きく下げて頷く。「そこで頷くのは変よ」。「話してもいいのか?」。ハンス=ペーター:「もう一度やるよ。ハンス=ペーター君はどうですか?」。祖父は、「元気」と一言だけ発すると、転ばないようにイスを引きずりながら、うつむいてテーブルに向かう。祖母は、「床を見ないで。変に思われるわ」と注意。ハンス=ペーターも、「邪魔になる物は 片付けておかないと」と言う。そして、祖父が 押してきたイスに座ろうとすると、「そこじゃないよ! お祖母ちゃんの隣に座れば、立ち上がらなくて済むでしょ」と言う。「確かに、そうだな」。祖母は、そのあとも、夫が、コップをひっくり返さないよう、くどくど注意する。そこで、ハンス=ペーターは、「お祖母ちゃんは、嘘が下手だから…」と言う。「嘘くらいつけるわ」。「それも嘘だけど、『つける』方にはカウントしないからね。お祖母ちゃんは、うっかりホントのことを言わないよう、注意しなくちゃ」(3枚目の写真)。今度は、祖父が嬉しそうに笑う。

準備万端整ったところに 児童福祉センターの女性が到着する。祖母は、コーナーに座り、その横にハンス=ペーターが座って、出られないようにして待っている。2人には、声だけが聞こえる。「今日は、ヘルターマンです」。「今日は、カーケリングです。どうぞ、お入り下さい。ここは、すぐ分かりましたか?」。余分なことを言ったせいで、祖父が、また家具にぶつかる音がする。女性が、部屋の入口に姿を見せると、ハンス=ペーターは、「ヘルターマンさんじゃない!」と言って立ち上がると、満面の笑顔で握手に飛んでいく。祖母には、キリスト降誕劇で知り合ったと伝える〔映画には出てこない〕。祖父は、ヘルターマンのコートを預かって掛ける時に、また別の家具にぶつかる。ヘルターマンは、降誕劇の時に、ハンス=ペーターがヨセフ役を演じ、マリア役の女の子がキスしようとするのを させまいと頑張った様子を面白く話す。そのあと、ハンス=ペーターが、「ケーキはいかがです? お祖母ちゃんが作ったんです」と訊く(1枚目の写真、祖母が2人に挟まれて立てないことがよく分かる)。ヘルターマンは喜んで受ける。滑り出しは極めて順調だ。場面は、ヘルターマンが書類にサインするところに飛ぶ。そして、「ハンス=ペーター君を あなた方に預けていけない理由は 何一つ見当たりませんね」と太鼓判を押す。それを聞いた祖母は、「私には嘘がつけません。夫と私はもう若くはありません」と話し出し、ハンス=ペーターをどきりとさせる(2枚目の写真)。しかし、すぐに、「でも、幸いなことに、2人ともまだ健康ですから」と嘘を付き、ハンス=ペーターをホッとさせる。ヘルターマンは、「お宅には、何も心配することがありませんね」と言って席を立つ。祖父は、見送りに行き、また家具にぶつかるが、ヘルターマンが家を出ていくと、ハンス=ペーターは、「嘘つけたね、お祖母ちゃん!」と大喜び(3枚目の写真)。ラジオを付けると、流れてくる音楽に合わせて2人で踊り始める(4枚目の写真)。そこに、祖父が戻ってきて、踊りの輪は3人に広がる。といっても、歩けない祖母と、目の悪い祖父なので、ただ抱き合って体を揺すっているだけだ。それでも、幸せなことに変わりはない。

ハンス=ペーターと、3週間ぶりに帰ってきた父と、祖母は、ゲルトルート伯母の家に招待される。そこには、カラーTVが置いてあり、ハンス=ペーターだけでなく父まで「すごいじゃないか」と言う〔日本では、1973年にカラーTVの普及率が白黒を上回るので、この “反応” は奇異に映る/祖母が普通に歩いている!〕。食卓に案内された祖母は、食器の数が1組多いことに気付く。それは、ゲルトルート伯母が仕掛けた “策略” で、一足遅れて到着したのはミセス・コロッサ。伯母から、来訪者の名前を聞いてもピンとこない祖母に、ハンス=ペーターは、「覚えてないの、お祖母ちゃん。1年で3人の男に振られた女(ひと)だよ」と教える。そこに、豹の柄のジャケットを着たミセス・コロッサが入ってくる(1枚目の写真、矢印は 後で出てくる豹の柄)。伯母は、豹の柄のジャケットをハンガーにかけ、ミセス・コロッサは薄着になってデザートの置いてあるテーブルへ。伯母は、父と握手したコロッサに、「これが彼よ」と耳打ちする。明らかに、母親のいないハンス=ペーターのために、コロッサを父親とくっつけようという魂胆だ。しかし、それを見抜いた祖母は、まだ喪が明けていないからと、邪魔をする。ミセス・コロッサには初耳だったようで〔葬儀にも出席しなかった〕、「そう、それはお気の毒に…」と言った後で、「でも、他に何と言えばいい? 人生は続くとでも?」と、笑顔で付け加える。父は、ケーキを勧めるが、祖母は、「クリームを挟んだクリーム・ケーキよ」と栄養過多を批判し、失敗したと思った伯母は、「あとでアボガドを持ってくるわ」と言ってコロッサに酒瓶を見せる。ハンス=ペーターは、TVの前から離れようとしないが、時々振り返ってはこうした様子を観察している(2枚目の写真)。ミセス・コロッサは、とても無理だと分かると、早々と退散する。その時、伯母は、なぜか間違ったコートを着せ、コロッサも気付かずに出て行ってしまう。ハンス=ペーターは、ハンガーに残された豹の柄のジャケットにちゃんと気付いている(3枚目の写真、矢印)。

祖母は、さっそく、「あんな女を招くなんて、何を考えてるの?」と、伯母を非難する。祖母は、一番に挙げたのは、コロッサが着ていた “男そそらせるような” ネックラインのシャツ。ハンス=ペーターの父は、「落ち着けよ、ママ」と、せっかくの好意を庇おうとするが、祖母は、コロッサがアボガドのカクテルをガブ飲みしたことも指摘する。そして、「マーガレットに代われる女(ひと)などいない。特に、あんな女性には」と言い切る。場が、極めて気まずくなりかけた時、女装したハンス=ペーターが現れる。羽織っているのは、コロッサが残していった豹の柄のジャケット。それに、伯母が吸っていたように、タバコも手に持っている。「何て言ったの? 私、3杯いただいただけよ。クリームを挟んだクリーム・ケーキは、どうすれば消化できるのかしら?」と言って(1枚目の写真、矢印は豹の柄)、コロッサの座っていた席につく。伯母が、「そのジャケット、どこで見つけたの?」と訊くと、「ワンケンマイヤーのセールで買ったの。似合ってるかしら?」と言い、「もしよろしけれ、もう一杯、アボガドいただけないかしら? 人生は続く… そうでしょ、ハインツ〔父の名〕」(2枚目の写真)と付け加える。ハンス=ペーターの物真似の上手さに、白けた場が救われた。

翌日、学校に行ったハンス=ペーターは、授業後、担任に、「『レリングハウゼンのハンス・ダンプ』で、何か役を下さい」とお願いする(1枚目の写真)。教師は、最初、すべての役は決まってしまったと告げるが、何とかしようと考え、「“芝生で遊んでいるハンス・ダンプに怒鳴る隣人” はどう?」と尋ねる。「いいですよ」。「初めは、舞台の裏で怒鳴るだけだったけど、本人が出てきてもいいと思うから。でも、小さな役よ」。「どうもありがとう」。舞台上でのハンス=ペーターの初練習。彼は、道具箱を持って登場すると、ボールで遊んでいたハンス・ダンプに、「おい、お前! 芝生で遊ぶな! いいな!」と怒鳴る。その後で、舞台を見ている教師に、「でも、なぜ、芝生の上で遊んじゃダメなんです?」と質問する。「とにかく、ダメなの」。「でも、理由があるハズです」。「たぶん、音がうるさいか、子供が嫌いかでしょ」。「でも、なぜ子供が嫌いなんです?」。「いいこと、この劇の主役は隣人じゃない。ハンスが、学校や父親に対して問題を抱える話なの。そして、その上、遊ぶこともできなくなる」。「隣人は、どんな名前ですか?」。「勝手につけて。さあ、ちゃんと台詞を読んで」。ハンス=ペーターは、2回目を演じる。「おい、このクソガキ! 芝生で遊ぶな! いいな!」(2枚目の写真)。そして、「ガキどもには、我慢できん。なぜだか分からんが」と付け加える。

いよいよ本番。観客席は、父兄と子供たちで満員だ。ハンス=ペーターは、後で定番になる “もじゃもじゃの金髪” に “ちょび髭” をつけた格好で登場し、道具箱をドンと置くと、2回目の練習と同じ台詞を口にする。「おい、このクソガキ! 芝生で遊ぶな! いいな!」(1枚目の写真)。しかし、会場が笑うと、観客の方を向き、「何を笑っとるんだ?!」と言い、これがまた笑いを誘う。ハンス=ペーターは、さらに、観客に向かって、「いいか、わしは、医者に、立っても座ってもいかんと言われておる。歩かせるなんて、もっての他だ。ところが、このガキがやってきおって、飛び回りおる。腹が立つじゃないか!」と長台詞。笑い声が大きいので、「まあまあ抑えて。何をそう騒いどるんだ?」(2枚目の写真)。これが、逆に爆笑を誘う。ハンス=ペーターは、最後に影の薄くなったハンス・ダンプに、「貴様、耳に、大根でも入っとるのか? とっとと失せろ!」と怒鳴り、筋書きと違って、ハンス・ダンプは逃げて行く。大きな拍手が沸く(3枚目の写真)。ハンス=ペーターは、ゆっくり道具箱を持ち上げると、「一件落着」と言うが、それと同時に、道具箱の中身が下に落ちる。これにも大きな笑い声。ハンス=ペーターは、舞台を一旦去るが、舞台の袖から一瞬笑顔を見せ(4枚目の写真)、笑いを取る。まさに、コメディアンだ。この扮装は、将来、架空の「Grevenbroicher Tagblatt」の副編集長Horst Schlämmerとして定着する。「Horst Schlämmer」で検索すると山ほYouTubeが出てくるが、例えば、https://www.youtube.com/watch?v=EVl0vjxo1Yo などの雰囲気が近い。

その日の夜、ハンス=ペーターがベッドで横になっていると、尼僧のリスベッツ伯母が「入っていい?」と訊いてから入って来る。パジャマ姿の伯母は、いつもは尼僧服で、絶対に見せない髪をさらけ出している。その金髪の巻き髪は母の髪にも似て、ハンス=ペーターには嬉しいプレゼントだった。「ヴィリお祖父ちゃんが戦後やったように、立ち止まらないことが重要だ。たとえ困難でも。それは、次に何が起きるか分からないから。でも、きっと、何か素晴らしいことが起きるに違いない」。しばらくして、ハンス=ペーターが、ラジオ・ブレーメンからの返事を見ている(1枚目の写真)。難しい顔をしているハンス=ペーターを見た祖母が、「どうかしたの?」と尋ねる(2枚目の写真)。「ロリオット〔コメディアン〕に手紙を書いたんだ」。「TVに出てる人でしょ」。「ディッキー・ホッペンシュテットをやらせてもらえないか訊いたんだ」。「で、どうだって?」。「返事はエディターからで、僕は幼な過ぎるんだって」。「素敵じゃないの。あとは大きくなるだけだから」。そして、「来なさい。みんないるわよ」と誘う。いつも通りの親戚のパーティ。そこに、ハンス=ペーターは、小学校の劇で演じた “口うるさい隣人” の姿で現れる。そして、親戚の人の物真似をして、みんなを笑わせる(3枚目の写真)。

2010年代のレックリングハウゼンにある酒場。中に入ると、中央の大きなスクリーンには、Horst Schlämmerが映り、観客が拍手を送っている(1枚目の写真)。場面は、一気に昔に戻る。ボックホルトの田舎道を、親戚一同が仲良く歩いている。元気だった頃の母、それに、父と兄。アン祖母とヴィリ祖父もいる。嬉しそうに笑うベルタ祖母もいる。伯母や叔母たちも元気一杯だ。靴の紐が緩んで遅れたハンス=ペーターを待っていてくれたのは、ベルタ祖母だった。ハンス=ペーターが、何気なく後ろを振り返ると(2枚目の写真)、そこには、2017年の時点でのハンス=ペーターが立っている(3枚目の写真)。これはあくまで象徴的なシーンで、ハンス=ペーターが、2014年に出版した伝記小説の中で、自分の子供時代に起きたことを貴重な思い出の1ページとして残したことを現わしている。映画の中のハンス=ペーターの喜びと悲しみは、彼本人の、秘められた喜びと悲しみだったと。

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